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アメリカ西海岸行きました サンフランシスコ編

お久しぶりです。 2月末に二週間ほどカリフォルニア州のサンフランシスコ、ワシントン州のシアトルに訪れたので投稿します。 第一週はカリフォルニア州のパロ・アルトに泊まりました。 パロ・アルトは田舎ですが、かなり住みやすそうでした。街は混んでなく、歩いて10分でサンフランシスコ行きのCaltrain に乗れる場所でした。 泊まった場所の周辺にはあまりスーパーマーケットはなく、24時間開いているところへ行くには少し歩くかuberを使うしかないのが不便でした。 付近の大学(スタンフォード大学、バークレー校) 近くにスタンフォード大学があり、30分くらいかかりますが歩いていけます。大学は都市から離れた場所(ただし不便な立地ではない)に設置したほうが、学生も集中して勉強ができる、、とどこかで聞いたことがあります。日本でいうとと筑波大学にあたるのかもしれないですね。 大学はとても広くて、シャトルバスが通っているくらいです。ちなみに泊まった場所の近くにもバス・ストップがありました。 パロ・アルトからは北へ行けばサンフランシスコ、もう少し北にはスタンフォードとは別のもう一つの名門校であるバークレー校があります。 バークレー校もよってみました。こちらは州立大学で学生数も多いです。面白いのは両方とも構内にタワーがあるんですよね。         シリコンバレー パロアルトから少し南のほうへ行くと、シリコンバレーがあります。調べてみるとわかりますが、たくさんの有名なIT企業がここに集中しています。googleは社員の許可がなければ社内を歩くことはできませんが、来場者用のストアで買うことはできます。その際、現金は使えず、visaカードしか使えないようでした。                           サンフランシスコ:観光地 サンフランシスコは二度訪れました。一度目は観光地周辺、二度目はビル街です。ゴールデンゲートブリッジ周辺をフェリーで回りました。   その後はフィッシャーマンズワーフへ行きました。海辺の観光地にあたります。 後、自分は行けませんでしたが、近くにギラデリ(チョコ)の本店もあります。どうやら、そこで買ったほうが安いみたいです。   サンフランシスコ:ビル街 サンフランシスコのビル街を友人に案内してもらいました。第一印象としてはIT関係の建物がかなり多く、建物のデザインなどが先駆的でユニークであることです。古い建物は大体低いものが多く高層ビルに挟まれていて、そのうちなくなりなりそうな感じに見えました。 また、新しくHigh Speed Rail ができ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴが一本でつながるらしいです。ラスベガスまでの交通も便利になります。娯楽の地域とITの地域がつながることで、生活圏の様相がガランと変わるかもしれません。 観光地だけではなく、街並みが醸し出す雰囲気は独特です。旅行の際は「Foreigner向けでない部分」も注目するといいかもしれません。今回は時間がなく、開拓するまでは行かなかったのですが、B級グルメなど見つけたいですね。   旅行の際は東浩紀さんの『弱いつながり』という本に書かれていることを実践してみました。詳細はまた別の機会に書くかもしれませんが、移動することによって普段の生活では絶対に思いつかないであろう「検索ワード」を獲得する、、といったことが書かれています。 ここで手に入れたキーワードはeconomic geography. 生活空間と経済空間の分離が街の設計から生じることがある。それが悪いことなのかどうかを考える必要があり、無造作にビルやインフラを整備するのではなく、big planを立てて実行する必要がある。 街の風景から導出される経済と私は捉え直す。新しい視点で歩くのも新鮮です。      

神戸ー姫路ー大阪ー高野山の旅

こんにちは、管理人です。 今月の7日―10日は関西方面を旅行していました。行きは在来線のみで青春18きっぷを使い、神戸まで行きました。旅の直前になってから青春18きっぷの販売期間が過ぎていたことに気が付き、急きょ3回分をヤフオクで調達しました。正規の価格より少し安く手に入ったので結果オーライ。 旅の大まかなルート 武蔵小杉→大阪(道頓堀、アメリカ村)→神戸(南京町)→姫路(姫路城)→大阪→高野山→大阪(通天閣、大阪城) 全部使いきった青春18きっぷ 最初の2回分は前の所有者が使用済   1日目 豊橋、大阪、神戸 武蔵小杉→大船→平塚→小田原→静岡→浜松→豊橋→米原→大阪・道頓堀→神戸 合流地点はJR武蔵小杉駅、前半は乗り換えが多く、大変でしたが、豊橋で昼食のウナギを食べた後は乗り換えもあまりなく、快適でした。途中、大阪でいったん降り、道頓堀付近で夕飯のお好み焼きとたこ焼きを食べました。神戸駅にあるビジネスホテルにチェックインしたのは午後10時ごろでその時は疲労困憊でした。 途中で食べたり、大阪で観光などもしたりしましたが、出発から到着までなんと15時間くらいかかりました。 大阪から神戸まで青春18きっぷ一回分を使ったので、落札価格から計算すると、2100円くらいでした。宿は2500円くらいだったでしょうか。   豊橋の路面電車 道頓堀   2日目 南京町、姫路城 朝遅く起きましたが、朝食は一応、南京町でとりました。 その後は姫路城に向かい、見終わった後はそのまま大阪の宿へと向かいました。宿は外国人向けのホステル、「来山」。トイレは共同で風呂は一回にある大浴場もしくはシャワールームです。エアコン・テレビはついてます。 シングルルームはなんと、一泊1800円でした。管理者(私)はその日、熱っぽかったため、夕飯時以外は宿で寝てました。 南京町 姫路城   3日目 高野山、通天閣 この日は主に高野山で過ごしました。夜は通天閣付近で串カツやどて焼きを食べながら飲みました。 南海電鉄の「高野山・世界遺産きっぷ」 新今宮駅の南海電鉄の窓口を見つけるまで30分くらいかかりましたが、無事、世界遺産切符が買えました。この世界遺産切符には高野山への往復券のほか、高野山でのバス乗り放題や拝観の割引券なども入っていて便利です。 花菱の精進料理 三鈷膳 これ、すごくおいしかったです。肉は入っていないため、健康的でもあります。 奥の院へと向かう参道 みぞれが降っていて、行きかう人も少なかったです。 金剛峯寺 金剛峯寺での茶 雨のため、人気のない壇上伽藍(だんじょうがらん)   4日目 大阪城 帰りの新幹線切符は約15000円で当日に調達。今回の旅で一番大きな出費になってしまいました(汗)。夕方の新幹線に乗る予定だったため、それまでの時間は大阪城や大阪駅付近などを見ることにしました。 私は551蓬莱の豚まんとシュウマイ、そして大阪の名物ではないですが、神戸のいかなごのくぎ煮も買っていきました。 大阪城 大阪駅 新幹線 新大阪駅にて 始発の新幹線 蓬莱の豚まん まとめ 旅の出費は一応4万円以下に抑えられました。 しかし、新幹線って便利ですねー。 日本での旅はスリルが少ないですが、比較的清潔で安全な国(はい、大阪でも)なので「休んでいる」気分はより味わえるような気がします。 日本で次行くとしたら金沢か九州あたりかな。 それではまた。

1か月間の中国旅行

前回の投稿でも既述したように作者は今年の7月の一か月間を中国で過ごしました。ずっとこのことについて書こうと思っていたのですが、ようやく概要くらいは書こうかなという思いになりました。 旅の簡単な概要 東京羽田→(飛行機(深圳経由)8時間)→広州→(バス2時間)→肇慶→(高速鉄道2時間)→桂林→(高速鉄道2時間半)→南寧→(鉄道10時間)→昆明→(高速鉄道5時間)→大理→(高速鉄道3時間)→麗江→(バス10時間)→攀枝花→(鉄道8時間)→峨眉山→(高速鉄道2時間半)→成都→(高速鉄道2時間)→重慶→(飛行機2時間)→広州→(飛行機5時間)→東京羽田 旅の始まりは羽田。広州への中国南方航空の便で、なぜか中国南方航空は「飛行機モード」でも携帯電話を飛行中、機内で使えない(3度くらい使っていることがばれたw)。5時間ほどで広州につくつもりだったが、悪天候のため、飛行機は深圳に着陸。そこで2時間ほど機内に閉じ込められ、また飛び立ち、ようやく広州白雲空港へ着いた。そこで待ち合わせをしていた旅のお供と合流し、広州にいる2日間はその人の親戚のアパートで過ごすこととなった。その間、珠江の夜景クルーズや中華料理を食べまくった。 孫中山記念館 広州の珠江の夜景 サトウキビジューススタンド その後、バスで肇慶へ向かい、付近の鼎湖山という仏教とつながりのある山へ行ったりして数日過ごし、その後は高速鉄道で桂林へ向かった。 桂林についた当日、高校の時から行きたいと思っていた漓江(りこう、リージャン)を訪れるツアーに参加した。バスは冷房が効かず、いろいろと疲れるものだったが、漓江での景色は最高だった。バスの冷房が効かないだけだったらよかったが、結局、我々ツアー客は途中で怪しい宝石店に連れていかれ、1時間くらい警察とつながりのあるボスらしき人物の金や翡翠の売り込みにつき合わされた。おかげで桂林の南にある陽朔という観光名所へ着いた頃には夕焼け時でそのまま舗装されてない道、冷房の効かないバスで桂林へ戻った。その次の日は龍脊梯田という桂林付近の棚田をこれまたツアーで訪れた。ただ、今回は途中で売り込みがないことを確認した上の少しお高めのツアーだったため、問題はなかった。棚田を見下ろせる場所までへのケーブルカー内でいきなり山手線の接近音が流れびびったが、製造業者の自慢話が始まる前のメロディーとして使われていた。 漓江 龍脊梯田 桂林からは高速鉄道で南寧へ向かった。南寧では青秀山と街中にある中山路という有名な通りの屋台の美食(メイシ―、意味:うまい飯)を食べたりした。中山路の屋台は特におすすめでうまいものをたくさん食べたい人にはうってつけ。また、南寧にいる間、SIMカードを買うことに成功した。なお、中国最大の通信業者、「中国移动」はパスポートを身分証として受け入れていないため、唯一?パスポートを受け付ける業者の「中国联通(チャイナ・ユニコム)」との契約をした。片言の中国語で何とか契約できたが、店員曰く、「ここに契約をしにくる日本人はたいてい中国語が少ししかできない」と言っていた(笑)。私が選んだ契約の通信量は微信、中国国内と広西省内のデータ量に分かれていて、少しわかりづらかったが、日本の通信料に比べれば圧倒的に安いのは確かだった。南寧での最終日はベトナム国境沿いの德天瀑布へのツアーに参加した。 青秀山 南寧の中山路の屋台 徳天瀑布 その次の日は南寧から雲南省の省都の昆明へ列車で向かった。3段ベッドの最上段でおおよそ10時間過ごした。昆明についた後、予約していたホテルに向かおうとしたが、タクシー運転手のほとんどがホテルの名前を聞いてもわからない。おかしい。結局、ホテルまでは歩いていくことになったが、なぜか泊まるはずのホテルの外観は真っ暗。どうやらホテルは停電していたらしく、部屋は10階かなんかでエレベーターが使えないため、階段を使わなければならないとのこと。当然、別のホテルに変更した。昆明では龍門や民族村を訪れ、カラオケ(キャバクラみたいのじゃないほう)にも行った。日本の曲は少ないが一応、SMAP、安室奈美恵、西野カナやAquaTimezの曲はあった。 車内の様子 昆明 昆明駅内部の様子 昆明からは列車で5時間で大理へ。大理古城、崇聖寺三塔、蒼山や天龍八部影視城を訪れた。残念ながらケーブルカーの営業時間は終わるのが早いため、蒼山の頂上へは行けなかった。しかし、そのおかげで蒼山のふもとにある天龍八部影視城という映画のために作られた舞台セットを見ることができた。その付近には600年前に中国に留学したとされる日本人僧4人を供養した「日本四僧塔」がある。そこには高倉健の建てた碑があり、たまたま映画「単騎、千里を走る」を撮影中にこの塔に遭遇し、碑を建てただとか。 大理からは列車で3時間で麗江に着いた。ここの列車はなぜかAIRの「鳥の詩」を度々流していた。麗江では麗江古城、束河古镇などを見て回った。 大理古城城壁 麗江古城内 麗江からは瀘沽湖へ行こうとも思ったが、ビザの期限も迫っていたから断念。そのため、麗江からはバスで10時間の攀枝花へ向かうことに。ルートは危険な山道で途中でかなりひどい渋滞もしていたが、その山道から見える谷や棚田の景色は最高だった。 攀枝花は四川省にある小都市で毛沢東の命令によって作られた都市だとか。見どころはあまりなく、一夜過ごしただけだが、付近には鉄工所や工場などがあり、独特な工業都市の雰囲気があった。次の目的地、峨眉山までは鉄道で8時間。 狭い山道に大型トラックが何台も 攀枝花駅 峨眉山山頂 峨眉山は中国の四大仏教名山のひとつで頂上には仏教の寺院や仏像などがある。頂上からはご来光を眺め、見た後の余った時間は大佛禅院という仏教寺院を見たりした。峨眉山からは高速鉄道で成都に向かった。 成都では文殊院、寛窄巷子、武侯祠、杜甫草堂、春熙路とパンダの繁殖研究基地などへ行ったりした。 成都からは重慶へ向かった。重慶の夕焼けは美しく、重慶火鍋も辛いとはいえど美味であった。本場の回鍋肉も日本のものとはものが違い、よりおいしいと感じた。 成都の天府広場 重慶火鍋 重慶の夕焼け 重慶からは夜中の便で飛行機で広州に。広州のホテルに着いたのは朝の3時ごろ。次の日はそのまま羽田行きの便に乗り、長い旅に幕を降ろした。 陸路のルートはこんな感じでした。4000キロくらいですかね・・・。日本横断は3000キロくらいなので、どれだけ中国がでかいかわかります。ベトナム国境沿いのポイントは徳天瀑布です。 楽しい旅でしたが、まだまだ見足りないですね。機会があればまた中国に行って、違う場所をみていきたいと思います。それではまた。

中国旅行中の変な日本語

こんにちは、管理人です。今年の7月は丸一カ月中国の南方地域を旅行していました。 まあその第一弾として旅先に遭遇した変な日本語を紹介したいと思います。 慎重にスライドすればいいのでしょうかw。 【鼎湖山、肇慶、広東省】   「スク水などください」 これは翻訳家の悪ふざけでしょうかw。 全然意味違うよ! 【鼎湖山、肇慶、広東省】   漢文の書き下し文風ですね。 【鼎湖山、肇慶、広東省】   魚を自由にするエリア。 【成都、四川省】   「の」以外は漢字です。また、一応、簡体字ではなく、繁体字を使っています。 繁体字を使うと日本語っぽくなるのでしょうか。「燒」は日本で見たことはないですが。 ちなみに「たこ焼き」は中国語で「章鱼烧」(ジャンユーシャオ)です。 【成都、四川省】   東門は「東のゲート」、西門は「サイモン」、北門は「北門」です。 ここは繁体字にするだけでよかったような気がします。 【麗江、雲南省】   芸人さんは注意すべきかもしれませんね。 【崇聖寺三塔、大理、雲南省】   一瞬堕落に見えました。 【崇聖寺三塔、大理、雲南省】   住友はHOMEFRIENDだって。中外合資か疑わしいですね。 【広東省】   スローガンをよく見かける中国です。日本語訳だけ「ポイ捨てするな」という部分が抜けています。日本人はあまりポイ捨てしないのでしょうか。 それはさておき、これはいいスローガンですね。 旅は「想い出と笑顔(微笑み)を残しましょう」。 (微笑み)は必要だったのかはさておき・・・ 【麗江、雲南省】 次は食編を投稿しようかと思います。それではまた。

実録!秩父遠征

  旅だ 今回、その他部部員3名で行ったのは埼玉県秩父市の浦山の消滅・限界集落群です。もともとは浦山口駅集合でしたが、本数が少ないため、結果的に御花畑駅で合流することになりしました。目的地へ行くための降車駅の浦山口駅は西武秩父駅直結の御花畑駅から2駅です。 まず向かったのは、駅から徒歩で行ける距離にある、橋立鍾乳洞(はしだてしょうにゅうどう)です。入場料は200円とお手軽。洞内は涼しく、非常に狭い箇所がたくさんあり、前へ進むには注意が必要です。 朝食は洞窟近くのそば屋でとる予定でしたが、「準備中」とのことでしたので日陰でバス待ちを兼ねて少し休憩をとることにしました。 橋立鍾乳洞入り口 栗山集落 鍾乳洞を見たあとは1日3~4便程度しか来ない秩父市営浦山線バスで「栗山」停留所まで行きました。「栗山」には栗山という消滅集落があり、そこを目指して、人気のない道を上っていきました。しかし、途中で舗装された道にさよならをし、傾斜が45度くらいありそうな道なき道を上ることになりました。幸い、その先には廃墟があり、しかもあまり荒らされていない様子でした(舗装された道から少し離れているからでしょうか)。 壁に掛けられたカレンダーは1988年の3月のままで停止していて、居間には1980年代のものと思われるナショナルのPana Color TH18-C16ブラウン管テレビが・・・。ちゃぶ台の上にはいまだに茶器と急須がおかれていて、27年間も放置されていたとは思えない様子でした。 1軒目の次に行った廃墟には1977年の5・6月カレンダーが未だにぶら下がっていました。外から伺っただけですが、1軒目と比べると、かなり中は荒れていました。2軒目を見た後は、道に合流し、道の先にも集落があるかと思い、しばらく道を歩きましたが、集落や廃墟らしきものは見当たらず、引き返しました(後ほど調べたらその先に集落はなかったので引き返して正解でした)。引き返した後は再び廃墟に遭遇し、3軒目には秩父警察署の張り紙があり、空き家が放火、破壊行為や盗難などの犯罪の温床になっているとのことでした。 谷沿いの大きい道へ戻った後は、大神楽方面へと向かいました。   大神楽集落 大神楽停留所付近に山奥へと続く道があり、その先に大神楽集落があります。舗装された道沿いにあり、一軒に関しては管理が行き届いていて、人が住んでいてもおかしくない様子でした。   薬師堂 大神楽より先の武士平を目指している途中、面白そうな建物を発見。後で調べると、薬師堂という仏堂でした。   コンピュータ その他にもUV-EPROMや74型ロジックICがのっているおもしろそうな基板を発見しました。ICのタイムコードを見る限り、おそらく1982年製だと思われます。基板の真ん中にはシャープ版のZ80 CPU、「LH0080」が数個配置されていて、そのころのコンピュータだと思われます。色々調べた結果、1982年製のシャープのMZ-2000かX1だと思ったんですが、基板の色(写真では青であるのに対し緑)やケースの色、部品の配置の違いなどから違うと判明。分かる方がいましたらコメントください。   武士平集落 武士平集落には廃墟らしき建物が数件ありましたが、こちらもちゃんと管理がされている様子でした。また、人が住んでいそうな家もあり、あまり詮索しないことにしました。ちゃんとした道は武士平で終わり、この先のたわの尾根を越えるには山道を進まなくてはなりません。   たわの尾根 上り坂の山道を進んだ後、たわの尾根につきます。たわの尾根には小さい馬頭観音の石像があり、供え物がされています。ここで少し休憩するといいでしょう。たわの尾根から茶平集落方面に向かう道はほとんど下り坂で楽です。 途中、清流に差し掛かり、私(管理人)はそこの水を飲みました。とりあえず、腹は壊さなかったです(笑)。清流の水は透明で荒川の水源にもなっているような場所なのでたぶんきれいです。   茶平集落 下り坂の道を進む途中、山の川をかける橋を渡った後に道が3つに分岐します。茶平は細い上り坂の先にあります。坂の上には警ら箱があり、集落はさらに奥にあります。人は一人も住んでいないですが、水道?や蛇口は設置され、墓などは管理されているようでした。家は6軒くらいあり、そのうちの1軒は完全に崩壊していました。規模は大きいのですが、中が見える家を見るとかなり荒らされていることがわかります。中には家の中に入れないように玄関に板を張っている家もありました。 山から帰還した我々を迎えたのは1991年に完成した寄国土(ゆすくど)トンネル。トンネルのレリーフは「浦山の獅子舞」をモチーフにしたデザインだそうです。   寄国土トンネル 寄国土トンネル内部。すごい反響します。 帰り 帰りは寄国土トンネル付近のバス停から市営バスを乗車して、一人300円払って西武秩父駅の近くまでバスを乗ることにしました。 途中、運転手から興味深い話を聞きました。運転手によると、この付近の集落の多くはもともと炭焼きで生計を立てていた家庭が多かったといいます。冬は4時間くらいしか日が当たらず、この低温により、木は固く育ち、木炭に向くものになるのだという。しかし、灯油が普及し始めると、多くの人々は集落を離れ、このように集落は廃墟化したのだという。 西武秩父駅では土産を買い、そばを食べ、帰りました。ああ、文明素晴らしや。